久しぶりの大垣と感動の料理

今回東京へ戻ってきた時に車も持ってくることを決めていたので、私の実家の岐阜と妻の実家の徳島へ行こうと思っていました。

昨日都内の部屋を8時ごろに出て高速道路を使って岐阜の実家へ

私の実家はどんなところかと言うと…

一言で言うと、過疎の村。

山と山の間のV字谷のような所を走った所です。

今は合併して揖斐川町なんですが、私が住んでいた頃は揖斐郡春日村でした。

有名なのは有名なのは国歌に出てくるのはさざれ石の発祥の地。

Wikipedeiaでさざれ石を調べてみると文章の最後の方に書いてますね。

今は人口がどれくらいなのかわかりませんが、すごく少ないのは確かです。

私の弟が実家に住んでいるんです。
実家は仕出し屋ですが今は弟が高齢の母の世話をしながら一人で細々とやっています。
こんにゃくはとても美味しいです!!

弟と大垣で食事しました。

「和モダンフレンチたかはし」

前日の予約だったにもかかわらずきちっと受けていただいてほんと感謝でした。

料理もサービスも心地いいお店でした。

話をしていたらなんと生年月日がひと月違い。

私が3月生まれなので学年は一つ違うけどほぼ同じ。

いいお店でした、料理もワインもきちっとあって素晴らしかったです。

写真は左から妻、シェフ、私、弟

今回は夕方来て大垣で一泊、朝にはバタバタして徳島へ向かいます。

懐かしい大垣でした。

次回はもう少しゆっくり来て友人たちと会いたいです。

小さい頃の話です。

星が好きでよく実家の屋根に登って星を見ていました。今考えると周りに山が迫っていてすごく空が小さかったです。
でも空気が綺麗で冬のオリオン座などすごく綺麗だったのを今でも覚えています。

そろばんの塾をサボって山に山芋(自然薯)を掘りに行ったり、勝手に田んぼに入っておたまじゃくしを捕まえて偉く叱られたりと今だと自由すぎるような子供でした。

中学校くらいの時だったか、その当時はラジオで海外の放送(短波)を聞くのが流行っていてそれを聞いて受信報告書を書いて送るとなんか記念カードが送られて来んです。

それでもっと聞きたいと思い、しかも変なハマり方をした私は雨の日の傘とアルミホイルを使ってなんか「パラボラアンテナ」風なのを作ってベランダに置いたり、近くの山から意味不明の線を引いてみたりと、今考えるまるで意味不明の行動をしていました。

ほんと懐かしいです。

今にして思えば、小さい頃変なことばかりしていましたがそれはそれで自由な発想的な意味では良かったのかもしれません。

結果的には上手くいかなかったとしても自分の自由な発想を形にしてみることは大切で重要だと認識しています。
既に誰かがやってる事を真似するのではなくてせっかくだったら自分の思いを形にする方がいいですよね。

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